昭和50年〜昭和63年まで、
旧・ドライブインあら竹(三重県松阪市八太町)に展示されていた
機関車C11312
駅弁のあら竹では、昭和49年ごろ、当時の国鉄天王寺管理局から
「機関車を買いませんか」というお話をいただきました。
アノ頃、たしか、SLブームの影響で
本物の機関車の展示が
公共施設、公園などに多く見られました。
国鉄経営再建計画の目玉として
SLの売却が一役買ったようです。
私の祖父(あら竹2代目社長・新竹亮太郎)は
その話をもらって、ものすごく考えました。
これには、かなりのお金が必要、総経費、うん百万何円なり〜〜〜〜
当時の貨幣価値では、えらいこっちゃ・・・・・・・・
車輌価格はもちろん
さらに高額な機関車の輸送費、維持費も
負担せねばなりません。。。。。。
悩みに悩んだ末
『今まで駅弁屋として
機関車にご飯を食べさせてもらってきたようなもんや。
恩返しのつもりで、1台買おてみよか〜〜〜』
実は、おじいちゃんは婿養子で、家付き娘のおばあちゃんは
この決断に、腰を抜かさんばかりにびっくり〜〜〜
『機関車、買うやなんて・・・・・
えらいこっちゃ・・・・・・・・・!!!!!!』
おばあちゃんにとっては
先代の日露戦争未亡人の自分の母の
爪に火をともさんばかりの細かい商いの駅の売店家業からすると
青天の霹靂のようなおじいちゃんの決断!!!
家計を預かるものとしては・・・・・???
しかし
『今まで、駅弁屋として
機関車にご飯を食べさせてもらってきたようなもんや。
恩返しのつもりで・・・・・・・・』
このおじいちゃんの一言で、機関車を買うことが決まりました。
機関車は、当時の国鉄・会津線で活躍し
現役を退いたばかりのC11312。
さてさて、遠く福島県会津から松阪まで
正確には、松阪市八太町のドライブインあら竹まで
どうやってあの大きな機関車を運んだのでしょ〜???
こりゃ、クイズの問題にでもなりそうやわ〜〜^^;
それが、聞いてビックリ!!
C11312は、はるばる線路を走って
会津若松駅から松阪駅まで運ばれ
いったん、松阪駅の構内で
車体、車輪、ボイラーの部分に大きく解体。
それを、特殊なクレーンを使って、台車に積み替え
国道42号をしずしずと
八太町のドライブインあら竹まで
牽引されて運ばれました。
そして、また、ドライブインあら竹に到着後
クレーンで台車から降ろし、再び組み立てるという離れ業。。。。。。
《車体と車輪に分解》
《特殊クレーンで台車へ移動》
松阪駅から国道42号・松阪市八太町ドライブインあら竹まで
警察の特別車輌に先導され移動
《ドライブインあら竹での組み立て作業》
今でいう、テーマパークのように
『SLのあるドライブイン』ということで
当時はものすごく珍しがられました。
お客様も、たくさん、この機関車を見るために
遠方からもつめかけたとか・・・・。
最初は、誰でも触れる、乗って遊べるようにと
自由に機関車の中に入ることが出来ました。
「オレ、子供の頃、アンタにとこの機関車、よう乗りに行ったわ。
オヤジに写真とってもろてなぁ」
と懐かしげに話してくださる方、今でも、たまにあります。
でも、しばらくすると、いたずらをされたり、部品を盗まれたりと
心無い出来事が続きました。
おじいちゃんは、心ならずも、、機関車を守るためにと
まわりを柵で囲い
機関車の中には自由に入れなくなりました。
桜の古木の下に置かれたC11312は
春には満開の桜吹雪の中
悠々と、そして堂々と、静かに、その身体を横たえていました。
その姿は、春の風物詩として
新聞などで紹介もされました。
そして、時代は移り
国鉄は分割民営化され、JRと名も変わり
駅弁も各駅からその姿を消してゆきました。
道路状況にも変化があり
伊勢自動車道は勢和多気まで
延長されることが決まりました。
(昭和61年ごろ)
松阪でのドライブイン営業は不可能となり
度会郡大宮町への移転が決まりました。
そこで問題が発生〜〜
機関車をどうするか????
新店舗まで移動させるのか
はたまた、このまま放置していくのか・・・・・。
このままにしとくのはもったいないけれど
莫大な輸送費は、いかんともしがたく〜〜〜〜
そんな時、静岡県の大井川鉄道から
機関車をゆずってもらいたいと打診がありました。
大井川鉄道は大鉄観光というバス会社も経営していて
うちのドライブインに機関車があることは、
そのバスの運転手さんから話をきいたとか・・・・
おじいちゃんは、
自分の私財をはたいて買った機関車を
手放したくはありませんでした。
でも、このまま、使わなくなったドライブインに置いておくことは
機関車にはフビン・・・・・。
もし、大井川鉄道で、もう一度活躍の場が与えられるならと
苦渋の選択をしました。
そのころ、おじいちゃんは食道癌に冒されていました。
自分の命とともに、機関車もなくなってしまうのは、しのびない・・・・・
と考えたようです
自分の余命は限られている・・・・。
しかし、機関車には次の人生(正確には第3の人生)が
開けるのならば・・・・。
最後は、「手放すという」つらい選択をしたようです。
これはあとから聞いた話ですが
10年以上も展示用として飾られていた機関車は
ふつうは、もう二度と現役として走ることができないそうです
そりゃ、精密機械なんですもの
使わないことが一番いけない〜〜〜
でもね、なぜか、うちにあったC11312は
なんの障害もなく再生・復活できたんですよ。
現役復帰は、おじいちゃんの願いだったからでしょうか・・・・・。
おじいちゃんの《駅弁屋魂》 が
機関車をよみがえらせてくれたのかもしれません。
C11312は、今も、大井川で、汽笛をはきながら
元気にお客様を乗せて走っています。